【実は超スゴイ人だった?】内田裕也がただの”ロックンロール”なオッサンではなかったという話。
9月15日、個性派女優の樹木希林さんが75歳でお亡くなりになりましたね。
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— 映画ナタリー (@eiga_natalie) September 29, 2018
樹木希林さんといえば、映画やドラマの配役以外にも私生活が独特ということで知られていて、特に歌手の内田裕也さんとは結婚後、離婚もせず別居状態が30年も続いていたことが話題になりました。また、内田裕也さんは樹木さんの告別式で車いす姿で登場したことが注目を集め、その健康問題も不安視されていました。さて、内田裕也さんといえば、その破天荒な言動や行動が常に注目を集めていましたが、具体的にどのような仕事をしている人なのかパッと答えられる人は、まだ若い方だともしかしたら少ないかもしれません。
今回はそんな内田裕也さんについて調べてみました!
■内田裕也さんの職業や経歴は?
内田裕也さんの職業ですが、Wikipediaによると「日本のミュージシャン・俳優」とあります。
内田さんはよくテレビで「ロックンロール!」と叫んでいますが、歌う曲はもちろんロックで、学生時代はエルヴィス・プレスリーの影響でロック漬けの日々を送っていたようです。
プレスリーさんを知らない方へ、こんな方です。。▼

ちなみに学生時代は音楽に明け暮れる一方、真面目な学生としての面もあったらしく中学時代には副生徒会長としても活躍していたそうです。
内田さんは1958年にブルージーン・バップスというバンドを結成後、数々のバンドを経て、1966年には日本のバンドマンの代表として、なんとあのザ・ビートルズの日本公演の前座として抜擢されたとのことです。調べてみて初めて知りました!結構すごい人だったんですね〜(笑)。
■内田裕也=名物プロデューサー!?
内田さんはミュージシャンとしてプレイする一方、プロデューサーとしても活躍していき、内田さんが発掘したバンドのなかには沢田研二さんが在籍していたザ・タイガースもいました。
また、絶えぬロックへの想いから内田さんは当時の日本ではまだ珍しかった「ロックフェスティバル」を開催することを思いつきます。
以来、内田さんは日本で一番ロックに詳しいプロデューサーとして数々のイベントを立ち上げていき、いつしか「日本のロックの首領」と称されるようになりました。
特に年越しライブである「ニューイヤーズワールドロックフェスティバル」は1973年から2014年まででなんと42回も開催され、ロック文化を日本に根付かせた功績は大きいとされています。
そのため、業界的には内田裕也さんは歌手よりもプロデューサーとして評価している方は多いといいます。この経歴も、今まで全く知らなかったです(笑)。すごい。
■俳優としての活躍もあった?
また内田裕也さんは「俳優」として数多くの作品に出演しています。特に映画『コミック雑誌なんかいらない!』では内田さんは『キネマ旬報賞』主演男優賞、『報知映画賞』主演男優賞など数々の輝かしい賞を受賞しています。
また英語が非常に堪能だったことから、『戦場のメリークリスマス』、『ブラックレイン』といった日本人俳優が多く出演する海外映画には多くキャスティングされている傾向にあるようです。いや、もうここまで知ると”結構すごい”から”超スゴイ”人になっちゃいましたね!!
■まとめ
以上、内田裕也さんは歌手・プロデューサー・俳優など数々の活躍をされている方ということがわかりました。私と同じように過去の活躍を知らなかった方は、ただ、「ロックンロール!」とつぶやくだけの破天荒な人ではないんだという事実がわかって見直した事でしょう(笑)。
”確かに活動が多岐に渡りすぎて一見わかりづらいですが、解体していくと「内田裕也的」な生き方が見えてくるような気がします。自分の道を貫いていてカッコイイとも感じてしまいますね!!
最愛の奥様を亡くされて大変かと思いますが、是非とも元気になって欲しいです!
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